吉本興業株式会社 東京本部
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東京生まれ。
母親はシャンソン歌手(桐朋学園声楽学科)、叔父は賛美歌の作曲家。
幼少の頃から音楽の中で育つ。中学生の頃、バンド活動を始め、いくつものバンドを渡り歩く傍ら作曲を開始。
ギター・ベースなど楽器をこなす中、シンセサイザーに興味を持ち、コルグMS20などのアナログシンセサイザーに触れ出す。
15歳を皮切りに音楽制作にのめり込み、当時のテクノポップを自身のスタイルに取り入れる。
同時期にウルトラボックス、 デペッシュ・モードなどに影響を受ける。
1982年
筒美京平と出会い、自身の将来を決断、作曲家としての道を歩き始める。
筒美のスタッフとして、デモテープ制作を手伝う傍ら、田辺エージェンシーに出入りし、積極的に自作曲を売り込む。
同時期に音楽業界のシステム・流れなどを学ぶ。
1985年
ニューヨークへ渡航。
CM音楽のレコーディング・スタイルを学ぶ。
1986年
帰国
長渕剛・CHAGE and ASKAの音楽プロデューサー・山里剛にデモテープが認められ、中川勝彦の楽曲のデモテープ制作に参加。
その時の曲が作家デビューとなる。
その後吉田建より沢田研二のアルバム曲のオファー、麻田華子や渡辺プロダクションの所属歌手の楽曲制作を行う(当時20歳)。
日音の村上司と出会う。
1989年
TBSテレビ「俺たちの時代」主題歌、「Try Again」を含む黒沢光義の楽曲を手掛け、アルバムの大半を井上日徳と共にプロデュース。
荻野目洋子、金子美香、相楽晴子、鈴木トオル等に楽曲提供。
その後、自らのマネージメント会社・有限会社CUEを起業。
企業CMプロデュース、群馬テレビ開局25周年時代劇ドラマの音楽を担当。
日音と共に新人開発チームを創り、加藤紀子などを発掘[要出典]。
続いて筒美の作る制作ユニットSillcon Grooveに参加、JA-JAなどに楽曲提供。
この頃ブラックミュージックに興味を持ち、オーストラリアに渡りレゲエ・バンドを組み活動。
滞在中に現地テレビ局のプライムテレビ・NRテレビのCM音楽を手がける。
1994年
帰国。
Achilles Damigosと出会いFace 2 fAKEを結成、現在に至る。